いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

親の責任

子育てをしていると、日々悩みにぶつかる。

こうすれば、ああすれば、と
いろんなことを試してみる。

試したことが、相応の結果に結びつかないとき
落ち込む。
これでいいのかと悩む。
間違った子育てをしているのではないかと悩む。

自分の子どもとよその子どもを比べて
自分の子育てとよその子育てを比べて
これでいいのかと悩む。
間違った子育てをしているのではないかと悩む。

そして、時々、どうにでもなれと
子育てを放棄したくなる。
言うことを聞かないと
思い通りにならないと。
そして、結局放棄できず
また試行錯誤の日々を過ごす。

アメとムチを与え
強制と放任を繰り返しながら
寄り道したり、立ち止まったりしながら
手探りで、本当に手探りで道を探す。
正解がないからこそ
道が幾多もあるからこそ
迷いながら行きつ戻りつする。

親のすべきことは何だろう。
子どもがよき人生を歩むよう
素直で、優しくて、性格が良くて
頭も体もしっかり成長して
よりよい社会生活を送って。。。
などと子育ての目標を
具体的に思い描けば描くほど
悩みは深くなるのだ。

本質は、もっとシンプルなのだと思う。
ヒトとして生まれた子どもを人間に育てる。
ただ、それだけ。

マニュアル通りの人生を歩むロボットでもなく
聞き分けのよいかわいいペットでもなく
自由をはき違えたヒトという名の動物でもなく
「人間」を育てるのが、親の責任なのだ。

ヒトの親になるのは、可能であっても
人間の親になるには、多くの努力を要する。
子育てに必要不可欠なものは、ただひとつ。
「人間の親」。

そう、思ったとき、
すべての子育ての問題は子どもではなく
親にある自分にあることが分かる。
子育てが間違っているとすれば
それは、親がヒトであっても人間ではないのだ。
親が人間であれば、人間を育てることは可能である。
まずは、親が人間になること。
それが、親としての最大の責任だと思う。