今日という日は、一生のうちの一日。
もう二度と戻ってこない
もう二度と繰り返されない「今日」という日を
積み重ねながら、生きていく。
例えば、誕生日。
例えば、結婚記念日。
例えば、親しい人の命日。
そんな日は、かけがえのない「今日」を思い出せるのに
特別な何かを抱えていない「今日」という日を
私たちは鮮明に思い出すことができない。
全く同じ日を送ることはないのに
唯一無二であるはずの毎日を
まるで同じことの繰り返しだと
「いつもの毎日」と一括りにしてしまう。
だから、多くの人が同じ認識を持って過ごす
3月11日という「今日」は、人々にとって
あまりにも特別すぎるのだ。
その意味するところは、人知を超えている。
被災者もそうでない人も、あの日を思い出す。
あの日の記憶がつながっていく。
すべての人が、直接何かができるわけではない。
できないからこそ、「今日」という日に
思いを馳せる。
4年前のあの日、あの時間の自分を
きっと誰もが克明に覚えている。
そのことを思い出すとき、それは祈りへと変わる。
その祈りのエネルギーが、復興への原動力になっていくことを
信じてやまない。