いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

積極的を疑う

「積極的」と「消極的」
どちらが評価が高いかと言われれば、きっと「積極的」。。

今では、すっかり内向きで後ろ向きでネガティブシンキングの私だが
思えば、小学校の頃までは、結構積極的な女の子だった。
なにしろ、自分の可能性はどこまでも広がると思っていたし
なんにでもなれると純粋に信じていたし。。
で、がんばれば、努力さえすればと
いろんなことに前向きだった。。

けれど、中学生ともなれば
「あれ??」と思うことが増えてくる。
がんばっても、努力しても実らないことは多々あるし
なんにでもなれると思っていた自分の
身の丈を知る出来事にぶつかる。
私の積極性は、見る見るうちに削がれていった。
その頃から、学校の先生の私に対する評価には
「積極性に欠ける。。」という言葉が増えていった。

積極的にならないといけないんだよなあ。。と思うたび
消極的自分を奮い立たせ、積極的に動いてみる。
だけど、そうやって行動してよかったなあと思ったことはあまりない。
気負った分だけ、知らず知らずに自分の信念を押し付けて周りを疲れさせ
それが理解されないと、落ち込んだり、腹を立てたりと
自分も疲れるしという始末。
そうして、それに自己嫌悪して、ますます消極的自分へと逆戻りするという
パターンにはまってしまうのだ。

そんなことをしているうちに、私はとうとう、開き直ってしまった。
「私は、後ろ向きで内向きで消極的人間なのだ!!」と。
消極的人間宣言である(自分の中で。)
すると、どうだろう。積極的に消極的であることを認めたら、なんと楽チンなこと!!
以来、私はずいぶん積極的に自分と向き合うようになった気がする。

さて、いま、この国では、首相が「積極的平和主義」と声を大にして叫んでいる。
そして、多くの人たちがこの主張を消極的に後ろ向きに否定的に捉えている。
果たして「積極的」とは、何だろう。。

近い将来、辞書の「積極的」には、大幅な説明が加わり
悪い例文として「積極的平和主義」(かつて立法に失敗した安倍内閣イデオロギー)と
記されることを今、切に願っている。