いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

個人的見解

その昔、私が公務員として働いていた頃の話である。

公務員の仕事は、条例や規則でほぼがんじがらめで仕事が進んでいくんだけれど
実務上の細かいことまでは、それらが及ばない。
じゃあ、そういうときはどうなるのかと言うと。。

私が働いていた出先機関では
ときどき、本庁からやってきて
監査もどきみたいなものがあった。
書類を、規則や条例に照らし合わせて確認していると
ルール通りにいかない事例が、たまにある。
そうすると、本庁の担当者の
規則条例の解釈による指導が入るのである。
時々、「それって、個人的見解じゃないの!?」と
思うことさえあった。
しばらく経つと、その時の解釈が、各出先機関に通知され
そしてそのうち、細則となって条文化された。
解釈の根拠となるものはちゃんとあるのだろうけれど
すべてが後付けのような気がして
なんだかもやもやした。

そして、私は、ちょっと怖くなった。
条例とか規則とかって揺るぎないものじゃなかったんだ!
一担当者、たまたま、そのとき、その立場にいた人の見解で
ことが進み、仕事が変わっていくのだ!
社会の仕組みが分かっていなかった、あまちゃんだ!と言われればそれまで。
でも、なんだか、これって、本当に大丈夫なの~!?という感覚が
仕事をして何年経っても、消えることはなかった。
社会人になって間もなく、世の中をすごく憂えた記憶である。

専業主婦を満喫している今、働いていた頃のことは
あまり思い出さないけれど、なんだかふと、この記憶が蘇った。

憲法解釈を一首相の見解で
時の政府の見解で
決定することの恐ろしさ。
先日の朝日新聞
最高裁長官の見解を
「個人的見解」だとこき下ろした
官房長官の言葉が載っていた。

じゃあ、個人的見解って、一体何なの!?
官房長官の言わんとする
「個人的見解」の「個人的」の意味が見え隠れし
それが、どうにも個人的見解にしか思えず
すごく、イヤな気分になったのである。