いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

ふたたび高校生

私が卒業した高校は、いわゆる田舎の進学校
通常の授業に加え、補習に、テストと
追い立てられるように過ごした3年間だった。

あまりにも慌ただしく、忙しく
先生たちにお尻をたたかれ
考える暇もなく
勉強してきたような、させられてたような。

だからなのか、高校時代の記憶がおぼろげなのだ。
なんだか青春をふいにしてしまったような悔いを抱き
高校生活の意味を見いだせないまま
おとなになり、ずいぶん長いこと過ごしてきた。

今年4月、娘が高校生になった。
いわゆる田舎の進学校に通っている。
そう、私と一緒。
あの頃の私と似たような生活を送る娘は
「なんでこんなに勉強しなくちゃならないのか!?」と
時には怒り、時には嘆き、
時には何もかも投げ出したくなりそうになりながらも
それらを拾い集め、軌道修正しながら
慌ただしい毎日を送っている。
彼女の姿はあの頃の私だ。
言ってることもしていることも
あの頃の私だ。

娘が入学して、半年が過ぎたころ
私は、なんだか落ち着いてきた。
不平不満たらたらの娘を
距離を置いてみることができるようになっていた。

娘の姿を自分に重ね合わせることで
私はようやく自分の高校生活への悔いと決別できたのだ。
「あー、私には、青春がない!!」という
悔いや嘆きそのものが
まさしく私の高校生活の意味だったのだ。
今では到底できっこない勉強ばかりの生活が
今の自分につながるという、その意味の大きさに気づく。
娘のおかげで、今、私はふたたび高校生活を送っている。