いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

給食、何だかなあ。。

現在私が住む市内の中学校は
完全給食ではない。
が、数年後には、完全給食となるらしい。

だから、高校生の長女が中学生の時には
給食はなかったわけで、お弁当だった。

小学校を卒業した途端
「あーあー、お弁当になるのかあ。。」と
なにやら負担めいたものを感じたけれど
いざ、作りだしてみると
思っていたよりも、苦にならなかった。
まあ、それというのも
それまで、毎日夫のお弁当をつくっていたわけで
一人分が二人分になっただけということもあるし
娘が中学生になると同時に
私が仕事をやめたこともあって
思った以上に負担感が少なかった。

お弁当は、思春期にさしかかった子どもとの
会話の糸口になることも多かったし
なんせ、月々、4000円の給食費はいらなかったし
実は、自分がお弁当を作るのが
好きだということに気づくおまけまでついてきた。

なんやかやで、あっという間に
娘の中学校生活は終わったし
高校生になっても、お弁当は続いているわけで
気づけば、「なんだ、給食無くても大丈夫じゃなーい。。」
ていう感じである。

だけど、給食導入となると、
みんな、諸手をあげて、大賛成って雰囲気になるのは
なぜなんだろう。

戦後の食糧難の時代
給食は意味のあることだっただろうし
まあ、義務教育は、子どもの食事も
補完されてしかるべきものかもしれない。

親が我が子にご飯を食べさせること。
子どものお昼ご飯を用意すること。
当たり前だけど、結構手間のかかることで
親がやらなきゃならないことだと
分かってはいるけれど
あー、めんどくさいなあと
時には思ってしまう。
あー、誰か、うちの子どもに、ご飯食べさせてくれないかなあ。。
なんて、結構、思うことだろうし
そんなとき、給食があったらどんなに楽だろうなんて思う。

だけど、子どもの栄養面とか
こどもの貧困の問題とか、
共働き世帯の増加とか
「めんどくさっ」と思うその気持ちを
社会問題にすり替えて
自分の気持ちにふたをして
給食に誇大な意味を持たせて
「ほら、だから、給食は必要なんです!」

そんなふうに、聞こえてしまうとき
給食、何だかなあ。。