いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

大学出てはみたものの

40を過ぎた頃、
案外すっぱりと仕事をやめた。
それから、専業主婦になった。

以来、女性の社会進出や経済的自立などという
今の社会の風潮にまったくもって逆行した
夫の稼ぎに頼り切った生活を送っている。

家のことを切り盛りし
誰かの何かのために
待つことが仕事のような
今の生活スタイルを
自分としては、なかなかに気に入っているけれど
時々、これでいいのかなあと考えることもあった。
でも、ようやく最近になって
これでいいのだと思えるようになった。

高校生の頃、大学への進学を決めた時
将来の自分が無職であるということを想像だにしなかった。
私は、一生働く人であるのだろうと思っていた。

今は、大学進学率も高くなり
女子も4年制大学にずいぶん進学するようになったが
あの時代には、まだまだ女子の進学率は低く
高卒で働く子や短大進学に比べ
4年制大学進学者は少数派だった。

けれど、男女雇用機会均等法など
女性の社会進出が徐々に叫ばれ始めた頃でもあった。
女性は、経済的自立を果たすことで
男性に頼るという必然性がなくなり
自由を手に入れることができる。
そのためには、女子も大学へという
社会的な流れができつつあった。
そして私もその流れにのったのだった。

大学を出たのは、一生働いて経済的自立を果たすため
男性同様、終身雇用の世界に身を投じたのだという意識が
私の中で、長いこと抜けなかった。
仕事をやめてからしばらく
生活には満足しながらも
これでいいのかなあと時々塞ぎ込んだのは
この呪縛が大きかったのだと思う。

今、政治は、大学を「実学」重視へと向かわせようとしている。
ひところには、文学部などというビジネスからほど遠い学部は
いらないなどという人も出てきたりした。
つまり、大学は、即戦力を養う機関として
卒業後即、ビジネス社会でばりばり働く人を育てる機関として
存在すべきだという価値観が生まれているということである。

さかんに、政治や財界が、大学批判を繰り返し
大学に実学を担わせようとしているのは
逆に言えば、これまで大学は、そのような役割を求められていなかったし
そうでないことに存在価値があったから
大学は、大学たりえたのだということだと思う。

この実学の話題が出てきた頃から
私は、徐々に長い呪縛から解放されていった。
大学で学ぶということは
社会で働くということに即応するものではないという
当たり前のことに思い至った時
私は、今の自分の選択を
うん、これでいいのだと思えるようになった。

専業主婦であることに対して
これまで胸の内にこっそり浮かび上がっていた
「大学出てはみたものの」という
後ろめたさを感じることがなくなった。

そして、今、高3の長女が
文学部に進学したいという希望が
私の希望となっている。