いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

何でもできるは何にもできない

AIが人間の仕事を奪ってしまう、、らしい。
それじゃあ、人間ができることはなんだろう、、となる議論が
いろんなところでなされている、、らしい。

先日も新聞でそんな記事を読んでいたところ
この言葉に胸を突かれた。

「何でもできるは何にもできない」

なるほどなあ、、
あれっ、だけど、これって、至極当たり前のことではなかろうか。
何でもできる人間、パーフェクトな人なんているわけない。
だから、誰もが何かができるってことだ。
AIに取って代わられないものを誰もが持っている、人間ならば、ってことだろう。

な〜んだ、つまりは、人間という不完全な自分を丸ごと受け止め
そのままの自分でいればいいんだな。

そこで、ちょっと、あれっと思う。
私たちは、幼い頃から学校というところに通って
教育と言われるものを受けなければならない。
そこは、人間のでこぼこ具合を矯正し、真っ平らにする場所でもある。
何でもできるようになれと。
運動も勉強も、心も体も、健康にと。
ある標準の形が決められ、そこに到達するよう目標があり
評価をされる。勉強だけに限らず、生活態度も、考え方も。
誰とも仲良くして、おとなを尊敬して、小さい子はかわいがり
お家のお手伝いをして、本を読んで、早寝早起きして。。
まるで、機械のように平準化させられる。
要するに学校は、人間を人間じゃなくする場所ということになる。

何でもできる人間を育てて、何にもできない人間にすること。
それがこの国の教育方針らしい。
ぞくっ。