いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

怯え

怯えるのはなぜだろう。
先が見えないから怯えるのか。
先が見えるから怯えるのか。

私は、遊園地のジェットコースターが苦手。
というか、絶対乗れない。
急上昇したり、急降下したり
カーブしたり、回転したり
それもとんでもないスピードで。
とてもじゃないが、怖くて乗れない。

ジェットコースターは乗れないというのに
なぜかディズニーランドのスペースマウンテンは大好きだ。
真っ暗闇を猛スピードで走り抜ける。
上昇するのか、下降するのか
カーブするのか、回転するのか
先は予測できないのに
乗っていてなぜか楽しい。

怯えるのは、先に何が待ち受けているか
知っているからだと思う。
この先何が起こるのか
知らないより知っている方が足がすくむのかもしれない。

大人になって、仕事をして
何となく生活できて
家庭を持って、家を持って、車を持って
子どもが大きくなって
父母が年を取って、自分も年をとって、、
すると怯えるのだ。
何が待ち受けているか、何となく見えてしまって
今自分の手元にあるものがなくなってしまうかもしれないと
今の生活が壊れたらどうしようと怯えるのだ。

つまり、所有することで生活を安定させようとすると人は怯えるのだ。

そう考えると、子どもは怯えを知らないはずだ。
何も所有せず、先に何が起こるかを知らず
今このときを生きる子どもたちに
所有を脅かされる怯えを感じる必要性はどこにもないからだ。

怯えを知らずに生きられる。
それが子ども時代の特権だ。

そんな全能感に溢れる子ども時代を
大人は、もっと怯えろと脅かす。
勉強しなきゃ、運動しなきゃ、みんなと仲良くしなきゃ、
学校に行け、塾に行け、習い事をしろと
そうでなければろくな大人になれないと
ろくでもない未来が待っていると脅かす。

大人が勝手に見させた未来に
子どもは怯える。
大人はそうして、子どもから子ども時代を奪い
子どもを小さな大人にしていく。

それが、この国で行われていること。
だから、日本の子どもたちは自己肯定感が低い。
子どもが勝手にだめだと思うのではない。
大人が子どもにだめだと思い込ませている。

この国の教育は間違っている。