ここ最近、瞑想をしている。
いつものことながら、本に触発され、軽い気持ちで始めた。
「ハーバードの自分を変える教室」に書かれていたから。
「瞑想」
おそらくそれは、自分を解放するものであるはず。
なのに、私は。。。苦しい、苦しい、苦しい。
解放するどころか、我がうちに深く深く入り込み
かごの中でもがいている。
この苦しさの原因は何なのか。
「自分を変えたい」
そのエゴが瞑想を苦しくしている。
雑念だらけの瞑想に
このままではいけない、変わらないじゃないかと
勝手にひとりで焦っている。
焦りは体に伝わり、呼吸は乱れ、苦しくなる。
体の反応は正しい。常に正しい。
なぜか、それは、人類の叡智の結集であるから。
私が私であって私でないのは
脈々と流れ続ける人類の遺伝子に支配されているから。
淘汰された遺伝子と、進化した遺伝子によって
形づくられたこの体は
生きるために最も有利な何かを知っている唯一の存在だ。
それは、なぜか。
体は、人類の「歴史」だからである。
それに対し、私は、ただの「経験」でしかない。
私という個人の、環境に左右された「経験」にすぎない。
「歴史」が詰まったこの体は、今、瞑想によって苦しんでいる。
「経験」である私は、「歴史」によって経験から学んだことの歪みを知る。
自分を変えることは、歴史を意識することからはじまる。
今できることは、「歴史」に静かに耳を傾けることだ。