いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

断定する記憶

昨日の国会での証人喚問。
まるでドラマやバラエティでも
見るように、思わずテレビの前に釘付けになった。

この件も含め、最近の国会では
「記憶」という言葉が耳につく。

その昔、証人喚問で
「記憶にございません」という証人の発言が
流行語になったみたいだけれど
今の国会周辺の人たちの
「記憶」という語の使い方は
それとはまた違っている。

「記憶にございません」ではなく
「記憶にございます」と
無から有へと変化を遂げている。

何を記憶しているかといえば
自分がどうした、相手がどうしたという
事実である。
夢でも、幻でもなく、まぎれもない
事実ならば、どうして断定しないんだろう。

「○○という事実がある」
「○○という事実があると記憶している」
との違いは何だろうか。

事実は変わらないけど、記憶は変わる。

後者は、言い換えれば
「これは事実だと断定したのは私の記憶である。」
ということでしょっ!!
それじゃあ、その事実を断定した私の記憶は
事実だと断定しなければならないんじゃないの!!

とにかく、事実が知りたいのだ。
記憶なんてどうでもいい。。