いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

時間はお金で買えるのか

時間はお金で買えるのか。

こんなことを思ったのは
昨日の朝日新聞の「折々のことば」で
こんな文章が紹介されていたからだ。

【時間の「欠乏」はお金である程度解消できますが、お金が「欠乏」していれば
時間の「欠乏」にさらに拍車がかかるのです。】

例えば、高速道路。
高速料金を支払うことで
移動時間を短縮できる。
確かにお金で時間を買えたのかもしれない。
だけど、買った時間はどうなったのだろう。

例えば、家事。
共働き家庭にとって家事代行は助かるだろう。
年末の掃除など大がかりで手間のある家事を
代行業者に頼み、料金を支払うことで
掃除など家事の時間を短縮することができる。
確かにお金で時間を買えたのかもしれない。
だけど、買った時間はどうなったのだろう。

お金で時間の欠乏を解消するためには
時間の欠乏の前に既にお金を持っているという前提がいる。
つまり自分の時間を買えるだけの
十分な金銭的余裕のある人にとって
時間をお金で買う行為は非常に有効である。

しかし、一般の労働者が
時間の欠乏をお金で解消しようとすれば
その手段であるお金を得るために
自分の時間を売らなければならない。

低賃金、長時間労働がまかり通っている
今のこの国の現状では
普通の人が時間の欠乏をお金で解消しようとすればするほど
時間が欠乏するというジレンマに陥るのである。
つまり、貧乏暇なし。

労働環境の改善なくして
時間の欠乏をお金で解消できるという論理は成り立たない。

時間をお金で買うために
自分の時間を誰かに売り渡さねばならないこと
そしてそれが時には魂を売り渡すのと同じであること
そちらの方が、時間の欠乏問題より
とても深刻な問題であると思うが。。