いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

レジ打ち

ワタシの住む田舎町のスーパーでも

大手の系列のところには、どんどんセルフレジが導入されている。

 

すべてがセルフレジに移行というわけではなく

有人レジも残されている。

効率を考えれば、絶対有人レジの方が速いと思う。

手慣れたレジ係の人の手にかかれば

精算まであっという間なんだけれど

ルフレジで精算したい自分がいる。

 

新しいものへの興味もある。

有人レジに並ぶ人は、そこそこお年を召した人が多いので

自分を若く見せたいという見栄もある。

だけど、一番の理由は、バーコードをピッピッとやってみたいから。

レジへの憧れ。

 

数十年前、ワタシが子どもの頃に住んでいた町は

スーパーなどなく、小さな個人商店が軒を連ねていた。

レジどころか、計算機さえ高価な頃。

消費税なんてなかったし、商品の値段もずいぶん単純な数字だった。

お店の人は、ソロバンをはじいたり、はたまた暗算で計算する。

そんな時代だった。

 

そこに、突如、レジなるものが登場する。

当初は、バーコードなんてなかったので、手打ち。

商品の金額を数字のボタンで入力して、合計ボタンを押したら

ピーンと鳴って、お金の入った箱が開く。

あれを見た時、思った。

「やってみたい!!」

 

そんな時代がしばらく続いた後

次は、世の中に、バーコードというものが出現。

 

バーコードが印字された商品を片手に持ち

もう一方の手にはバーコードの読み取り機をもって

ピッピッとするだけで、数字が足し算され、はい、精算。

またしても、ワタシは思う。「やってみたい!!」

 

そして、今。

バーコード時代はまだ続いているが

バーコードの読み取り機械だけでなく

レジそのものが進化を遂げ、セルフレジ機が登場。

 

レジへの憧れを抱きながら

そういう仕事を経験することのないまま

ずるずると生きてきたワタシ。

レジは打つものではなく、打ってもらうものだった。

 

お店側の人間でなく、客側の人間が、レジを打つ。

そんな時代がこようとは、子どもの頃想像だにしなかった。

 

さて、セルフレジをやってみて

今更ながらに気が付いた。

 

ルフレジでは、バーコードを読み取りながら

商品を右から左へ移す作業を繰り返すわけだが

手当たり次第に商品をバーコードに通すと

袋詰めがうまくいかなくて、とんでもないことになる。

 

右にあるかごの中のモノを

左にあるマイバッグにどのように詰めていくかの

瞬時の判断がとっても大事なのだ。

手先が不器用で、要領の悪いワタシは

ルフレジの前で、かなりの確率でまごつき

たびたび、目の前の機械から、催促される。

「商品をマイバッグにお入れください」

機械に急かされながらのワタシのレジ打ち。

 

昨日もまた、さんざん機械に急かされ

落ち込み気味で、スーパーを後にし、思った。

ワタシの憧れは、レジではなく、あの技だと。

瞬時にして、モノを見分け

瞬時にして、きれいに詰め込む、まさしく、レジ係の職人技。

 

有人レジからセルフレジが主流となり

そして、AIの画像認識システムレジへと

いろんなお店がどんどんと変わっていくのだろう。

便利な世の中なんだろうけど

職人技のない世界は、どこか、やっぱり、寂しい。