いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

お浄め塩

最近、お通夜やお葬式の際の香典返しには
「お浄め塩」がついていないことに、はたと気がついた。
どうしてお浄め塩をつけないのか、
それは、生と死を同じものと考えるので、、云々と
書かれた紙が、香典返しの品に添えられていたように思う。

そうそう、数年前までは、お葬式に行くと、
玄関先で、お浄め塩をふってから、家の中に入っていた。
「死」という「不幸」が家の中に入ってきませんように、、と。
そんな感じではなかったかなあ。。

存在は生と死を内包している。それは、揺るぎのない絶対的真理である。
そのことに背を向け、目をそらし、耳を塞ぎ、
いたずらに死を忌み嫌い、過剰なまでに生を、生存することを礼賛する。

お浄め塩がなくなっていくことを、私はとても好意的に受け止めている。
そうか、生きることも死ぬことも、存在の一部なのだなあ、、と。