いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

小さな死

「置かれた場所で咲きなさい」
このベストセラーを先日、遅ればせながら読んでみた。

本を読んでよかったと思うのは
自分の想像を超えた価値観がこの世にあることを
実感したとき。
普段、訳知り顔でこどもを諭す自分が恥ずかしくなる一瞬である。

ところで、この本の一節に
「小さな死」の話がある。
大きな死(あの世に行くこと)のリハーサルとして
小さな死(エゴを抑え他のために生きること)をしておくことが
できるという。

すごいなあ。
そんな考え、頭にちらともよぎったこともなかった。

生まれた瞬間、人間は死へと向かっていく。
よく聞くフレーズだ。
死へと向かって行く存在であるならば
生を満喫しなければもったいないなどと
せこい考えしか浮かんだことがなかった。
あーー、なんと小さい私。。。

この世に誕生した生は、その瞬間に
100%解き放たれた光である。
光は拡散する。
拡散しようとするその光を拾い集め
収束する作業が、人の一生かもしれない。

存在そのものが光なのだ。
バラバラになる光を拾い集め
拾い集めた光は、輝きを増し
最後には、その光は、ただ一点になる。

生きる喜びを求めるとき
ついつい、外に光を求めようとする。
願いが叶うことが生きている喜びだと
それが生の実感だと思いがちだ。
けれど、これほど豊かで自由な社会なのに
生への実感は先細る。
それは、この時代を生きる私たちは
知らず知らずの間に
誕生の瞬間に与えられた光を
収束させるどころか
放散させる方向に向かわせているのかもと、思った。

生きていることの喜びは
思い通りにならないこの生を
実感することから始まるのかもしれない。
「小さな死」によって
この生を尊くする生き方をしたいなあ。。。