いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

静かな先導者

健さんが、亡くなった。

高倉健の大ファンだった友達のことが頭をよぎった。
ニュースを聞いて、「エーー!!」と大声をあげたに違いない。
がっくり肩を落とした姿が目に浮かぶ。

健さん世代でない私でさえも、感傷的な気分にさせる。
日本中、いたるところで
ひとりの人間の命の幕引きが惜しまれている。
こんな人は、そうそういない。

俳優として、男として、日本人として
ひとりの人間として、
この国で圧倒的存在感だった健さん
天皇陛下と同じくらい
象徴的な存在だった、と言っても
きっと、ちっともおかしくない。

人間のあるべき姿、根源を問うたとき
健さんの姿が、そこにある。
理想を追い求め、信念を貫き
凛とした居住まい、たたずまい。

健さんは、先導者だったのだ。
それも、静かな、静かな、先導者。
主義主張を声高に叫ぶこともないのに
そのストイックな姿に
多くの人が引き込まれた。
ああいうふうに、生きてみたいとか
あんなふうに、かっこ良くなりたいとか
人に自然とそう思わせること自体が
偉大な先導者であることの証拠だ。
だから、多くの人が悲しんでるんだと思う。

今朝の新聞の一面は
亡くなった健さんと、
解散表明の安倍総理が飾っていた。

ひとりは、偉大な先導者
ひとりは、独りよがりの扇動者。
二人の写真を見ながら
人の世の皮肉さを見せつけられたような気がした。