いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

感謝はどこからやってくる?

先週、小学生の長男が学校からプリントを持って帰ってきた。
そのプリントは、市の教育委員会が作成した
保護者宛の教育だよりのようなもの。

コラム欄のひとつに、子どもが感謝の気持ちを持つにはどうすれば
よいかというようなことが書いてあった。
読みながら、そうだよな〜と思っていた気持ちが
だんだんと、そうかなあ〜に変わり
そのうち、なんか違うんじゃないかな〜に変わり
読み終えたあと、うん、違う!!と思った。

そこには、子どもに感謝の気持ちを持たせるには
家の仕事を手伝わせなさい、とあった。
たとえば、お風呂掃除をしたり、洗濯物をたたんだり
食器を洗ったりなど、子どもに役割を与えれば
自分が人の役に立っているという気持ちと同時に
自分も人に支えられているという気持ちがうまれ
感謝の気持ちがわきでるのだと力説してある。

そして、日本人とアメリカ人を比べ
日本人は「子どもに何をしてあげようか」と考えるが
アメリカ人は「子どもに何をさせようか」と考えるのだと
紹介し、親のあり方を見直す必要があるという
論調だった。

両親共働きだった私は、子どもの頃から
家の仕事をいろいろと手伝わされた。
遊びたいさかりのころで、
ましてや家の手伝いをしている姿を
友達に見られるのも恥ずかしかった。
ほとんどいやいやだった。

そういう私を、母は、叱った。
家の手伝いをするのは当たり前だという
母の態度に、私は渋々従って
洗濯をしたり、掃除をしたりした。

たぶん、同年代の子どもたちより多く
家の手伝いをしてきたと思うけれど
私が手伝いをしている時間に
子どもとしての時間を謳歌していた
友達の方が、私よりも全然
感謝の気持ちを多く持っていたように思う。

ひねくれた私の性格も関係しているとは思うが
「手伝うのが当たり前」とか「感謝して当然」とか
「感謝の気持ちはこうやって育ててやらねば」という
大人たちの都合の良い考えが
子どもたちから感謝の気持ちを奪うことがある。

感謝の気持ちなんて、それが人の心に生まれるのは
それこそ個人差がある。
感謝の気持ちに満ち満ちた子どもなんて
気持ち悪くて、うそっぽい。

これでもか、これでもかというほど
自分の存在が大切にされ
だれかが自分のことを思ってくれている。
そう感じたとき、初めて、
人は感謝の気持ちを持つのではなかろうか。

私は、アメリカ人的考えを持つ母親の元で育ったが
いっこうに感謝の気持ちは育たなかった。

母親となり、今は、日本人的考えをもつ親であろうと思っている。
「子どものために何ができるかな。。」