いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

つながりの本音

4月、大学生になった娘が、家を出た。
彼女との連絡ツールとして
しぶしぶラインを始めた。

ずっと避けてきたスマホを持ち
ずっと避けてきたラインを始めた。

なぜ、スマホを持たなかったのか。
それはもう、ただ単に
人とつながるのが面倒だから。

娘との連絡のためにと始めたが
時代も時代で、すぐさまそれは
息子の習い事の連絡ツールともなってしまった。
グループラインというやつだ。

最初は、ラインがくるたびに
「ライン!!」という通知音がなるようにしていた。

ところが、ラインの当初の目的である
娘との連絡よりも
息子の習い事のグループラインの
通知の方が圧倒的に多い。
それも、ほとんど影響のない
知らなくても別段困らないような内容が
どんどん入ってくる。

あまりのうるささに
通知を無視することにした。

入ったばかりだが、早々に嫌気がさしてきた。
いっそのことグループラインを退会しようかと思ったけれど
いざ退会すると必要な情報を誰かから引き出さなければならない。
そのめんどくささにはたと気づき、思いとどまった。

これまで、みんながラインをするのは
誰かとつながりたい欲求が強く
それを楽しんでいるものだとばかり思ってたけれど
実は、違うのかもしれない。

ラインで要不要の情報を得ることで
現実の人とのつながりを結構回避できるのだと気がついた。

ラインやSNSは、
絆とかつながりとかの
現代的象徴だと思っていたが
どうもそれは違うようだ。
実は、つながるためではなく
つながらないためのツール。

つながるのが面倒だと思って
スマホもラインも持たずに過ごしてきたが
つながりの本音は、こんなところにあったのかと
不思議な気持ちになっている。