数年前から専業主婦をしている。
仕事を辞める決断をしたのは
40を過ぎ、人生の先が何となく見えてきたとき
残りの人生は、自分の大切なひとと多くの時間をともにしたいという
思いが強くなったからだ。
いわゆる公務員という仕事をしていたが
仕事の意義と自分の人生がクロスすることはなかった。
オールマイティを求められる仕事の性質に
最後まで自分の性格がクロスさせられなかった。
それでもいつかは、、と言う気持ちと
経済的には安定するんだからと
自分に言い聞かせながら
悶々とする気持ちや
仕事や職場、人間関係の居心地の悪さと
格闘しているうちに
気づけば、人生の折り返し地点にさしかかっていた。
はて、私はこんな生き方を望んでいたのだろうか?
一度、浮かんだ疑問が消えることはなかった。
理解ある夫のおかげで
私は、あっさりと仕事をやめることができた。
今、その決断を後悔したことは一度もない。
人生の時間のほとんどを家族と過ごす。
会話の相手は、ほぼ家族。
だけど、それが、とてもしっくりきている。
濃密な時間が過ぎていくことに
幸せを感じる。
だけど、これを社会的には
「ひきこもり」というらしい。
ひきこもっている人=かわいそうな人
ひきこもっている人=社会的不適合者
ひきこもっている人=生産性のない人
そんな目でひきこもり現象を見て
ひきこもりの問題は大きな社会問題だとして
ひきこもっている人を社会に引きずり出さねばならないと
いう人がいる。
これって、人間が一個人として完璧であらねばならないという
自己責任論のお仕着せだと思う。
直接的な社会参加が
人を幸福にするとは限らない。
一元的価値観でしかモノを見ることのできない
思考の貧困がこの国には蔓延している。