いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

二十歳を前に思うこと

長女は、幼い頃から、人前にたちたがり
何かと言えばリーダーになりたがった。

例えば、運動会で応援のリーダー
例えば、委員会の委員長
例えば、生徒会の役員
例えば、文化祭の司会。。

そういうものを決めるときは
毎回ほぼ、率先して手を挙げた。

私は、そんな娘のことを
ただの目立ちたがり屋だと
長い間誤解していたのかもしれない。

娘は、高校生の後半になると
目立ちたがりの行動が影を潜めるようになる。
大学生の今は、リーダーなんてもういいやという感じである。

娘のこの変化について、ちょっと考えてみたくなった。

娘は、小学校、中学校と親しい友達がなかなかできなかった。
高校2年生になって、はじめて気の置けない友達ができた。
娘の口から、その友達の話を聞くことが多くなった。
楽しそうな口ぶりから
娘がその友達に絶大な信頼を寄せていることがよく分かった。
自分を飾ることなく、相手に気を使うことなく
自分の本心を安心して話せる友達を初めてもったのだと思う。
思い返せば、その頃から
娘は、人前にたったり、リーダーになることへの
興味を失っていったような気がする。

大学生になり、今度は自分を丸ごと受け入れてくれる彼ができる。
この傾向はますます顕著になっている。

彼女は自分のまわりの小さな人間関係を大切にし
等身大の自分を生き始めたのだと思う。
(本人にその自覚があるかわからないけど。。)

振り返って、思う。
何かに取り憑かれかのようにリーダーになりたがった当時の娘は
「認められたいという病」に冒されていたのではないだろうか。

誰かに認められたい、自分という存在を受け入れてもらいたい。
そのためにとった娘の手段は、リーダーとなり、人前にたち
目立つことだったのかもしれない。
そうすることで、彼女が自分の生をつなぎ止めていたと考えると
今さらながら私は胸が苦しくなる。

そして、私は突如恐ろしい事実に気づく。
娘にその病を煩わせたのは、まぎれもない、母親であるこの私ではないのか。

認められたい病を克服する方法は
ありのままの自分を受け入れてくれる人との縁だ。
信頼できる友達であり、信頼できるパートナーを得ることだ。
自分のまわりに自分が安らげる小さな空間を作るということだ。

ああ、これが、アイデンティティの確立ってことなのかなあ。

とすると、認められたい病を克服したとき、ようやく、ひとは、大人になる。。

今月、娘は二十歳を迎える。