いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

◎と×の囚人

本の学校教育は、囚人教育である。

正解判別の簡単なテストを繰り返し
◎と×をつけて、子どもたちを点数で評価する。
あなたは何点、あなたは何点。

テストの答えは多くの場合、ただ一つ。
一つの正解以外は全て×。
△ってこともあるけど
◎以外、基本は×というスタンスであることにはかわりない。

テストだけじゃない。
相対評価の偏差値という数字、体力テストの数字、学期ごとの成績表の数字に
挙げ句の果ては、生活態度の◎×評価。
子どもたちを数値化、◎×をつけて管理しようとする学校は、ほら、収容所みたいでしょう。
だから、私は、この国の学校教育は囚人教育だと思うのだ。

そうして、悲しいことに、子どもたちは、◎と×の囚人にならざるをえない。
日本の受験システムが◎と×を明確に判断できるテスト方式がとられているから。

だとすると、学校や塾で優秀だとされる子どもというのは
◎と×の囚人の模範囚ということになる。

小中高校と、◎と×の模範囚を勤め上げたら
模範囚には、いわゆる難関大学卒業という高学歴が与えられる。
その後、彼らは、官僚になったり、大企業に入ったり
政治家になったりする。
一見、これは、人生の勝ち組のように見えるけれど
よくよく考えれば、◎と×の模範囚でしかない。
一生を囚われの身として生きるということにも思えたりする。

かたや、学校で、成績が悪かったり
先生という人種から低い評価を受けたりした子どもたちは
学歴社会からはじかれたり、給料の高い仕事に恵まれなかったりすることもある。
一見これは、人生の負け組のように見えるけれど
よくよく考えれば、◎と×の囚人から解放され、収容所から釈放されたようにも思えたりする。

囚人になど、誰もなりたくないはずなのに
恐ろしいかな、この国では、◎と×の模範囚であることが
幸せな人生を歩むすべだと思い込まされ
そこから釈放されることを恐れるようにさえなる。

今、この国を動かしている人、動かしている気でいる人たちは
◎と×の囚人だと思うと、彼らが檻の中にいるように見えてくるから面白い。