現代の日本社会における人とのつながりは
「選択的関係」が主流となっているそうだ。
かつて主流だった血縁や地縁による人とのつながりは
この選択的関係にとってかわられた。
血縁や地縁による煩わしさを嫌い
ひとりでも自由に生きられる社会を
われわれが望んだ結果である。
血縁や地縁の排除が完成形に向かおうとしている今、
今度はこの「選択的関係」の中でワタシたちは苦しんでいるらしい。
あまりに皮肉すぎる。
血縁や地縁のストレスを解消した先に待っていたものは
選択的関係という友人などに代表される感情を介した
人との結びつきである。
人が日々の安定した暮らしを手に入れようとしたとき
感情ほど、厄介なものはないだろう。
つまり、人とのつながりに感情を介することは、関係性を不安定なものにする。
選択的関係という、自由で進歩的に見える関係性の落とし穴に
現代日本人はすっぽりとはまってしまったのではないか。
不安定な関係性ゆえに、孤立の不安におびえる。
そこで、行政は孤立を解消するために、コミュニティや共同体という
言葉を使って、施策を打ち出そうしているらしいが、
もともとコミュニティや共同体という言葉は、キリスト教文化圏の概念であり
日本人の概念になかった言葉でもって、対策を考えること自体に
大きな疑問を感じる。
血縁も地縁も崩壊し、宗教によるつながりも希薄なこの国で
孤立を解消するための決定的方策は、今のところ見つかっていないし
上からの号令で、簡単につながれるほど、人の心は単純ではない。
壊すのは一瞬だが、再度築き上げるには、多くの努力と長い年月が必要なことだけは
想像できる。