いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

らしさの強要

「男らしく」「女らしく」という言い方は
今は、嫌われがちである。
性差を意識させ、概念や役割の強要につながりかねず
それによって苦しんでいる人もいる。
だから、今は「自分らしく」がもてはやされる。

性別にとらわれず、あるがままの自分で生きていいよとの
メッセージ性を感じる「自分らしく」という言い方が
私は、好きだった。

そう、好きだった。。。過去形だ。
今は、「自分らしく」も「男らしく」「女らしく」同様
一種の強要ではないかとうっすら感じている。
それは、こんなことがあったからだ。

中学生だった娘が水泳の大会に臨んだときのこと。
プレッシャーに押しつぶされそうになった彼女に
当時のコーチがこうアドバイスしたのだ。
「自分らしく泳げ!」

そう言われた娘は、気が楽になるどころか
逆に混乱して泣き出してしまったのだ。
自分らしくっていったいどうすればいいのだと。

自分らしさというのは、案外自分ではわからない。
生きてきた過去を振り返って、ああ自分とは
こういう人間なのかと思うものだ。
自分らしさは、未来ではなく、過去にある。

だから、過去の自分という持ち物が少なく
思考経験の浅い人たちに向かって
安易に「自分らしく」なんて使ってはいけないと思う。

まだない未来に「自分らしさ」を求めることは
ある種の強要である。
それは時に「男らしさ」「女らしさ」よりも
人を苦しめることがある。