いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

こんな使い方をするおとな

昨日、小3の息子が帰ってくるなり
ワーッと泣き出した。
どうしたのかとワケを尋ねると
下校中、こんなことがあったという。

信号のない交差点の横断歩道を渡ろうと
車が通り過ぎるのを待っていたところ
昼間の暑いさなかに
本格的にランニングをしている
おじさんがやってきたそうだ。

すると、そのおじさんは
横断歩道前で待っている息子に向かって
「ランニングの邪魔だ、どけろ!」
と、吐き捨てたと言うのである。

罵声を浴びた息子は
びっくりしたものの
涙をぐっとこらえて帰ってきたが
家に着いた途端、堰を切ったように
泣き出してしまったのだ。

昨日、日野原重明先生がお亡くなりになられた。
訃報を知らせるニュースの中で
お元気だった先生が
小学校で「いのちの授業」をされている
場面が流れた。

いのちとは、何か。
それは、自分が使える時間のことだよ。
その時間を、何のために使うのか
自分のために使うのか
人のために使うのか
大きくなったら、そのことを
ちゃんと考えなければいけない
自分のいのちを困っている人のために使ってほしい等々、
とても分かりやすく教えてらっしゃっていた。

ランニングのおじさんは
大人であるにもかかわらず
まわりの子どもを蹴散らして
自分のランニングという目的を
完遂することしか頭になく
まっしぐらに走り去った。

こんなにも粗末な
いのちの使い方をする大人がいることを
未来を生きる子どもたちに対して
大人の一人として
とても恥ずかしく、恥ずかしく思った。