いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

どちらが

遅まきながら、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

今年最初のブログは
昨年後半、気になって仕方がなかったが
なぜ、どうして、何ゆえに気になるのか
頭の中でずっとぼんやりしていたものが
やっと言葉で表せそうなので
忘れないうちに綴っておくことにする。

昨年、小学5年の息子がぽろっと口にした。
「A(息子のクラスメイト)は、ずるい。あいつは学校休んでゲームばかりしているんだ」

Aくんは、不登校
不登校の理由は、知らない。
彼は学校を休んで、家でずっとゲームをしているらしい
という噂がクラスに流れていた。

休んでいるのに、なぜゲームをしてるって分かるの?
と不思議に思ったが、オンンラインゲームですぐ分かるというのだ。
(息子はオンラインゲームをしていないので
その情報は、オンラインゲームをしている友達から聞いたらしい)

そうして、クラスの男の子たちは口を揃えて
あいつはずるいと言っているそうだ。

なぜ、彼らにとって、Aくんはずるいのか。

子どもたちは、学校という場に仕方なく行っているのだ。
行かなきゃならないと思って我慢して行っているのだ。
本当は行きたくない。
できることなら、学校休んで勉強せず、一日中好きなゲームをしていたい。

自分たちが学校で嫌いな勉強をさせられたり
先生たちに怒られたり
無意味な指導を受けたり
友達付き合いで疲れているというのに
Aくんは学校に来れないことを理由に
家でゲーム三昧である。
Aくんがうらやましい。

自分たちはゲームするのを我慢し
さらに我慢して嫌いな学校に行っているというのに
Aくんは何も我慢していない。
Aくんはずるい。

学校が楽しく、自ら進んで登校しているとすれば
不登校の子がたとえ家で一日中ゲームをしていても
ずるいとは思わないだろうし、うらやましくもないだろう。
でも彼らは、ずるいと思ってしまうのだ。

「Aくんはずるい」そう思う彼らの心もまた
学校によって深く傷つけられているのだと思った。

不登校になれない、不登校できない子どもたちの心に
社会はもっと目を向けるべきである。

我慢して、システムに抵抗できず登校している子どもたちは
内面に学校に行きたくないという気持ちを抱えている。
このことが彼らの心にどれほどのダメージを与えているのだろうか。

登校拒否の意思表示ができるほうが、幸せなのかもしれない。