いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

「傷つかないように」の先にあるもの

先日、小学生の長男と学校のことを話していたときのこと。
先生に提出する書類やお金の話になった。

提出物を出していない子どもに
先生が「まだ出ていませんよ、出してくださいね」と
催促するときには
出していない子どもの名前を読み上げず
既に提出済みの子どもの名前を読み上げるのだという。

これも子どもたちへの配慮なのかと
感心しつつ、なんだか少し複雑な気持ちになった。

私が子どもの頃は
先生は、未提出の子の名前を読み上げた。
今では、個人情報保護の対象である情報も
当時はクラス内で平然と先生が口にした。
それによって、ずいぶんイヤな思いをしたことも確かだ。

「教育的配慮」が重視され
今の子どもたちは、学校という場で
いろいろな意味で守られている。
それは、とてもいいことだと思う。
思うけれど、なんとなく割り切れないこの思いは何だろう。

傷つくとはこういうことかと身をもって感じず
傷つくことに対する免疫がないまま
学校を卒業し、社会に出たその先で
子どもたちを待ち受けるもの。

「傷つかないように」の先にあるものに
学校は目を向けているのだろうか。