いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

かけるべき言葉

私が小学2年生の頃、クラスに不登校気味の女の子がいた。
内向的で、みんなよりちょっとだけ傷つきやすい感じの子だった。

そんな彼女が、久しぶりに登校してきた。
その日の帰りの会のとき、
40代半ばの男の担任の先生が、
「◯◯さんに、ひとり一言ずつメッセージを送りましょう。」と。

窓際の一番前の席の人から順番に彼女にメッセージを言っていった。
「がんばって学校に来て。」
「一緒に遊びましょう。」
「元気になって。」
そんな言葉が続く中、私の順番がきた。

思いつく言葉のほとんどが、すでに言い尽くされ
「何を言えばいいかなあ??」と
私はしばらく黙り込んでしまった。
何も言わない私を、担任の先生は、みんなの前で叱りつけた。
「どうして、ことばひとつかけてあげられないんだ。」と。

かけてあげるべき言葉を探していただけだ、
何も言わないつもりじゃなかった。
どうしてクラスのみんなの前であんなに怒られなきゃならないんだ、と
悔しくて悔しくて、体が震えるくらい悔しかった。
学校から帰って、クラスの集合写真を見ながら
担任の先生の顔を塗りつぶした。「大きらいだ。」と。

今、困っている人、悩んでいる人、たいへんな状況にある人に
言葉をかけることが、とても苦手だ。
一体、なんて言葉をかけてあげればいいんだろう。
本人が一番ききたい言葉は何だろう。
励ますべきなのか、慰めるべきなのか、
いつも迷って、うまく言葉をかけてあげられない。

父が先月倒れた。
病室で眠る父に、「お父さん、私よ。」と声をかける。
それだけだ。
かけるべき言葉が見つからない。
何も言えない自分がいる。

自分の気持ちを整理できないでいる私に
先日、主人がぼそっと言った。
「一番つらいのはお父さんだからなあ。。」

そうだ、私は一番大切なことを忘れていた。
たいへんな状況のまっただ中にいるその人の気持ちを。

いつも、自分の気持ちを優先して相手を見ていたのだ。
だから、かけるべき言葉を探さなきゃならなかった。
かけるべき言葉に正解があるんだ、と思い込んでいた。
相手の気持ちでもない、自分の気持ちでもない、
模範解答の「かけるべき言葉」を探していたんだ、と
気づかされた。

「正解」なんてない。
「かけるべき言葉」なんてない。
相手の気持ちに寄り添ったときに初めて、自分の
言葉が出てくるんだと思う。
探した言葉じゃない、自分の内側からの言葉。
ありきたりな表現かもしれないけど、自分の言葉が。。

あの頃、私は、不登校の彼女の心に寄り添っていなかったんだ。
先生は、私が何も言わないから叱ったのではなく、
彼女の心に寄り添えない私を叱ったのかもしれない。

その翌日、病室で眠る父に言葉をかけた。
ありきたりだけど、自分の言葉で.
「ビックリしたでしょ、痛かったでしょ、
でも、もう大丈夫、みんなついてるからね。」