最近、中1の娘とのコミュニケーションがめんどくさい。
思春期にさしかかり
大人でもなく、子どもでもない
宙ぶらりんな姿。
時には大人ぶってみたり
時には子どもっぽさを前面に出してみたり。
心も体も、著しい成長過程を遂げている人間の姿は
あまりにもグロテスクだ。
一方、母は遅速な成長地点にいる人間である。
我が子と言えど、正直、めんどくさい。
誰でも通る道ゆえに、避けては通れない。
そう分かっているんだよ。
だけど、やっぱり、めんどくさい。
何が、いったい、こんなに、めんどくさいんだろうか。
先日、親戚が集まる機会があったとき
義理の妹(娘にとってはおばさんになる)が
彼女に放った一言がその確信だった。
「あんたは、何でも人のせいにするよね!!」
そっ、そうだ!!
めんどくさい理由はそこに在りそうだ。
娘は、会話の端々で、自分の存在のいたらなさを
すべて人のせいにするのだ。
性格、容姿、成績、運動神経 などなど。
「これは、ママのせい」
「あれは、パパのせい」
「それは、おばあちゃんのせい」
「あれは、◯◯ちゃんのせい」
「それは、××くんのせい」
自分の存在は、常におとしめられている。
言外で「私は純粋無垢な存在なのよ。」
と言っていることに気づいていない。
常に、被害者であるという意識が
感じられるのだ。
しかし、だからといって、長所はすべて自分のおかげだとも言わない。
長所もまた人のせいなる発言。
ややこしい、ややこしい。
彼女の頭の中も錯綜しているのだろう。
そうか、そうか。
つまり被害者意識を持った人というのは
めんどくさい人なのだ。
この過程を経ながら、彼女もきっと
大人になっていくことだろう。
被害者でも加害者でもある当事者として自分の存在を意識できた時が
彼女が初めて自分の足で立てるようになる時であろう。
それを、ゆっくり待ってあげるしかないのだなあ。めんどくさいけど。
しかしまあ、今の世の中、大人と言われる年齢に達している人の中で
この「めんどくさい人」の割合って確実に増えている気がする。
被害者意識が抜けず、二元論でモノを語る人がいかに多いことか。
真っ白な子どもの心は、裏を返せば当事者意識の欠如なのだ。
そして、それが欠如しているひとは
年を取っていても、いつまでも罪深きこどもなのである。