いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

大人になるということ

こどもの頃は、なにかと恥ずかしいことだらけだった。
ぺちゃんこな鼻。
毛深い足。
ニキビ顔。
学校のトイレで大をすること。
授業で発表すること。
泳げないこと。
ひとりぼっちでいること。
たまにある殺風景なお弁当の中身。
などなど。

それらが、実は他愛もないことだと分かっていく。
つまり、恥ずかしさの数が減っていくのが
大人になることなんだと思った時期があった。

でも、それは、ちょっと違うということに
最近思い至った。
恥ずかしいことが減るのではなく
ありのままを許せることが増えるのが
大人になることなのでは、と。

ほうれい線も
たるんだ体も。
わがままな子どもも。
横暴な若い人も。
威張ってるひとも、自虐気味なひとも。
お金があることも。お金がないことも。
思い通りにいかない人生すべてを。
全部ひっくるめて
いい意味で、仕方ないなあと思えることが
大人になること。
それは、あきらめや妥協ではなく
悟りにちかいものなのかなあ。

先日、風邪を引いて、鼻をかんでばかりいた。
ティッテュの摩擦で鼻周りはかさかさ。
出てくる鼻水の一部は、この季節の乾燥で
固形化していた。
それに気づいた、夫は
「ほら、鼻くそがついてるぞ」と言って
私の鼻を掴み、鼻くそをとってくれた。

「ありがとう。よくとってくれるよね。
反対なら私、できないよ。」と言った。
それに対して、夫は
「別に何ともないよ。」とぽつり。

夫婦いずれが大人だろうか。
言わずもがなであります。