いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

新しい年

新年あけましておめでとうございます。

年を越すための大掃除なんか諸々の
年末恒例行事を終えて
無事、新年を迎えられたことに
今年は何だか妙にほっとしている。

こどもの頃、新しい年がくると
すべてが新しいものに変わると思っていた。
お正月には、新しい服を着ることができたし
お年玉をもらって、新しいものを買うことができた。
新学期が始まり、学校で
「新年の抱負」を紙に書いて、新しい気持ちを手にした。
新しい自分になれるような気がした。

そうして、何度も何度も新しい年を迎えながら
年が明けた途端、すべてが真新しくなるという
魔法はとけていった。
昨日も今日も同じ一日。
ただ、昨日を大晦日といい
今日を元日と呼ぶだけなのだ。

それなのに、新年を迎えるためにと
毎年、年末には慌ただしくその準備に追われる。
誰に強制されたわけでもないのに
このまま年を越してはいけないという
強迫観念にかられるように
家の中をせっせと磨きあげる。

そうして、今朝、何が変わったというわけでもない。
朝、鏡を見たら、ホウレイ線がなくなってたわ!!
なんて、うれしいことがあったわけでもなく
昨日の朝と同じく寝起きのよれよれの顔がそこにはあったし、、、
リビングに行けば、テーブルの上は新年を迎えるかのように
ピカピカに磨き上げられている!!
なんてこともなく、昨晩の家族の宴の残骸があるだけだ。
そうして、その後片付けから新年も始まったのである。

けれど、こうして、いつもいつも同じ朝を
迎えられるとは限らない。
良くも悪くも、昨日と同じ今日でない日だってある。
こどもの頃、思っていた、すべてが生まれ変わるような日=元日は
一年365日、いつだってその可能性を持っている。
ただ、それが訪れる日は、それぞれに違い
そしてまた、誰も前もって知ることができない。
そう考えると、毎日すべてが仮想お正月なのだ。

忘れがちなそんな当たり前のことを
ちゃんと胸に刻んでおくために
意識的に自らの手で新しい年を作り出す
このお正月を大切にしたいなあと
お雑煮を作りながらしみじみと思った
2016年の元日であった。

今年もよろしくお願いします。