いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

知性のカケラ

将棋の藤井七段のコメントを聞くたびに
知性を感じるのはなぜだろう。

あの若さで語彙の豊富さ。
そして、自分にしっかりと向き合うチカラ。
その時その時の感情や思いを表すにふさわしい
言葉を選びだし、表現しているのが伝わってくる。
そのことが「知性」と感じるのだと思う。

知性は、語彙の豊かさだけでは足りない。
その語彙の使い方からその人柄が見えた時に初めて
「なんか、このひと、知的だなあ」と感じる。

私の知性を感じる基準は、つまりはこういうことなのだと思った時
同時に、なるほどっと私は思わずうなずいていた。
知性を感じる人がいれば
知性のカケラも感じない人がいる。
なぜ、知性のカケラも感じないのかが同様に分かったからだ。

知性を全く感じない人とは
語彙が貧弱で
その貧弱な語彙をどんな場面でも同じように使い回す。
自分に向き合う態度も感じられず
自分に都合が悪くなると
途端にいらだち、相手を攻撃したり
立場が悪くなると、貧弱な語彙から
貧弱な謝罪の言葉を使ったりする。
表面的な謝罪ということがバレバレだということに
本人は気づいていない。

知性のカケラもかんじられない、そんな人たちが
いろんな場面でトップにいる。
この国にも、あの国にも、あの大学にも。。