いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

勉強の利益

「勉強して何の利益があるの?」

息子に問われ、絶句した。

えっ、利益?

何のために勉強するのか。
多かれ少なかれある時期の子どもなら
誰もの心に必ず浮かぶ疑問だろう。

だけど、私の子ども時代には
「勉強して何の意味があるの?」ではなかったか。
あるいは
「勉強して何の得があるの?」ではなかったか。

得と利益は、一見同じようだが
「得」には金銭的なものではないものも含まれるが
「利益」には金銭的に換算できるものしか含まれない気がする。

だから私は、息子の言葉を聞いて絶句したのだ。

利益かあ。。

子どもたちの世界にも
拝金主義が闊歩しているのだなあ。
嫌な気持ちだ。

勉強して意味があるのか、勉強して得があるのか、勉強して利益があるのか。

勉強する意味は、確かによく分からないが
得や利益は、数十年前であれば、はっきり可視化されていた。

勉強すれば、大人に褒められたし
友達に時にはガリ勉と揶揄されながらも、うらやましがられた。
成績も表立って発表されてたし
勉強すれば成績が上がって、誇らしい気持ちにもなった。
「得」といえば、そんな感じだろうか。

勉強すれば、現状の家庭環境から抜け出せ
金銭的に恵まれる可能性があったし
勉強することで成績が上がれば
無利子の奨学金を借りることができた。
「利益」といえば、確かに金銭的な利益を受けることができた。

ところが今はどうだろう。
横並び主義、個人情報保護で
成績は公表されることもないし
個性をのばす教育の旗印のもと、反知性主義が跋扈している。

勉強しても、学校に通うためには多額の資金が必要だし
苦しい家庭環境から脱出するために
大学に進学したいと思えば
必然的に奨学金という多額の借金をしなければならないし
今ではその多くが有利子で学生ローンと化している。
ところが、そうやって借金までして大学を出たというのに
待ち受けているのは不安定な雇用環境。
勉強しても、利益は確定しないのである。

だから、息子への回答は、「利益なし!」になるけど
やっぱり、そもそも質問の趣旨がおかしいんだよなあ。

だって、ほら、今のこのご時世が
「勉強」と「利益」は相容れない概念だということを
皮肉にも証明してくれているんじゃないのかな。

勉強って、やっぱりお金じゃないんだよ。