いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

小さな反抗心 銀行編

無料でお金を預かって、管理して、通帳やカードをくれる。
その上、半年に一度、利息まで振り込んでくれる。
どうして銀行はこんなに親切なの
これはいったいどういうこと

小学生の頃、こんなことを急に考えだした。
まあ、なんとかわいい小学生だったんでしょう
この疑問を誰に尋ねるでもなく、時は過ぎ、
しばらく経った頃、そのからくりに、自分で気がついたときは、
まるで世紀の大発見でもしたかのごとく、興奮したのをとても
よく覚えている

この大発見からほどなくして、
「なんて銀行は親切なの」という気持ちは
私からすっかり消え失せた。
「なんだ、ひとのふんどしで相撲とってるだけじゃないの

ひとからお金を集めて、ほかにまわし、利益はピンハネ
この真実を知ったときには、まあ、人間の作ったシステムというものは
なんと、偽善に満ちたものかと。
これを言語ではなく、感覚としてつかんでしまった幼き私

いや、銀行が最初から必要悪であった訳ではないはずである。
本来の役割をきちんと果たしている銀行も、私が知らないだけで
少なからずあるはずだし。
けれど、銀行が、その役割から乖離したところで、
私利私欲に走る姿を、いやというほどみせつけられたら、、、
あーあー、こうして私の銀行嫌いは始まったのです

「われわれが、この資本主義国家である日本を支えているのだ
などという、大仰な言い分が、銀行にはあるんだろうけれど
それならどうして、貸し渋り貸し剥がしなんてものがあるのだろう?
バブル期に、恥も外聞もなく、不動産投資に走ったのは、いったい
どこのどいつなのであろうか

バブルがはじけると、手のひらを返したように
「地域にねざした」とか「リテールバンキング」などという言葉を
恥ずかしげもなく使っていることが、信じられない
なあ、なんと節操のないことであろう

銀行が住宅ローンに力をいれている。
金利が安いから借り換えませんか??」などと誘い込む。
いやいや、そんな甘い言葉に騙されてはいけません
それは、「あなたのために」などではなく、「銀行のために」なのである。
それから、20年、30年、あなたは、その銀行に見えない鎖でつながれ
銀行のために働かされる。きれいな家に住むという条件と引き換えに

それなのに、大企業の債権放棄は、いとも簡単に行われる。
これこそ、銀行がいかに個人から搾取しているかの証である

大人であれば、誰でも知っているこの真実を
幼い子どもたちに、早期に、公教育でしっかり教えてほしいものだわ
と、私は、常々思っているけれど、
国や地方自治体がそんなことするはずがないのはわかりきっている。
だって、銀行が国債や地方債を買ってくれなくなったら困るから。
この国は、金銭教育なんてできっこないよね、きっと。
まあ、これを癒着と言わずに何というのでしょうか
仕方ない、我が子だけには、しっかりとこの真実を知らせておかねば

しかし、実際の社会生活では、やっぱり銀行というものを使わないといけない。
どんなに「嫌い」と思っても、
給料は、口座振込だし、公共料金は口座引き落としだし。

けれど、私は「ずるい」ことをするのは、どうしてもうけいれることができない
だから、ボーナス時期に、「定期にしませんか??」などと勧誘してくる
銀行員には、うんざりするのです。
「今なら利息は◯%ですよ」なんて言葉に、私の心は振り向きもしないのです。
ちょっぴりの利息のために、あなた方の金儲けになどいっさい協力いたしません
これが、私の、銀行への抵抗手段なのであります