いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

手に負えない

「手に負えない」というのは、よくないことだとずっと思ってきたが
あるとき、あれっ、違うんじゃないかと思うようになった。

私は、子どもの頃、いや大人になっても母によくこう言われた。
「あんたは手に負えん子やね」
へそ曲がりの上、こうと思ったら一直線、かと思えば弱気になる。
熱しやすく冷めやすい。大げさですぐに周りを困らせる。
そんな私に母は手を焼いたのだろう。

そのうえ、結婚するまえ、私が夫を父母に紹介したところ
母はこそっと夫にささやいたらしい。
「あの子は、たいへんよ」

母が言うに手に負えない私は、手に負えない子を産んだ。
長女のことだ。
小さい頃から、娘は私の想定外のことをぞくぞくとやらかした。
たぶん、それは、子どもの個性なのだろうが
つまりは、ちょっと手がかかる子だった。
器の小さい私は、娘を私の手に負える子にしたいと子育てしてきた。

自分の想定内の子育てができないことに
腹を立て、落ち込み
時には娘をしかり、時には娘をなだめすかした。

誰かが娘のことを「手に負えない子」と言うかもしれない。
そんな馬鹿げたことを本気で怖がった。

昨春、娘は大学に進学し、親元を離れた。
ひととおりの子育てを終えて、気がついた。
結局、彼女は私の手に負える子ではなかったと。

人類は進歩していく、つまり、子どもは親を超えていく。
子どもが親の手に負えてしまえば、それは進歩ではないではないか。
手に負えない子ども、そんなの当たり前だってことにようやくたどり着いた。