いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

書ければいいの、読めればいいの。

 
新型コロナウィルスの緊急事態宣言で3月初めから長男が通う小学校も断続的な休校が続いている。数回にわたり学校から出た宿題は、先生たち手作りのプリントの綴りと漢字ドリルと音読。こつこつ真面目な小学生ならきっちりやってくれるのだろうが、うちの小学生は全くもってそうではない。さっさと宿題終わらせて早くゲームをやりたい!!その一心で、字は汚いし、間違いだらけ。漢字の練習もとりあえずやっているが、字は汚い、書き順もめちゃくちゃ。そして、なんと、いざ書こうとしても、書けないという致命的な結果を生みだしていることに唖然とした。息子が何のために漢字の練習をしているのかと言えば、ノートを埋めるためだということが鈍い私にもようやく理解できた。つまり彼にとっての漢字練習は、時間つぶし練習である。この3カ月弱、落ち着いて勉強しなさいと何度言ったことだろう。さすがの私も、これが無駄だということに気がついた。勉強したくないのは分かるがさすがに漢字くらいは覚えてもらいたい。きれいな字、正しい書き順、それらは横に置いといてまずは、読めること、書けることが先決だ。きれいな字で正しい書き順で書きなさいということ自体が漢字練習を嫌にさせている原因かもしれない。。そこで、漢字アプリをさせてみることにした。軽快な音楽に合わせて、指でなぞる、タップする、書く読む、選ぶ。。まずは、私が試しにやると、これはなかなか面白い。このひと月ほど、息子は毎日続けられてるしまあ一安心だ。そんな息子を横目に私はふと考えた。そうか、漢字は、書ければいい、読めればいいはずなんだよなあ。。それなのに、漢字練習というと学校では、きれいに書くこと、とめやはね、書き順に主眼を置いている感じ。漢字を覚える目的のためにノートに練習するという勉強手段がいつのまにかきれいに書いたり、正しい書き順を覚えることが目的化していく。なるほど、子どもたちが勉強を嫌がるはずだよなあ。。