いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

懇親会

今年、息子が通うこども園の保護者会の役員をすることとなった。
3月で仕事をやめ、家でのんびりしているので
役員でもしてもいいかな。。と引き受けた。

と言いながら、、この年齢にして、初めてのこと。
娘の保育園、小学校時代も、役が回ってこないように
こそこそと逃げ回っていた。
仕事をしていて忙しいのを大きな言い訳に
実は人の意見のうごめくところに身を置くということが
耐えられないからだ。
4月から大きな言い訳をなくしたし
身を置いてみてもいいかなという気になった。

昨日、今年度初の役員会の仕事。
こども園保護者会主催の懇親会があった。
役員で何度か集まり、打ち合わせをして
まあ、何とか無事終了し、ほっとした。
そして、気づいた。
あら、ちょっと楽しいじゃないの。
それは、仕事とはちがうボランティア的な楽しさ。
そして、多くの人は、よりよい方向に物事を進めようと
考えているということ。
そして、もうひとつ大事なことに気がついた。
それは、私の心が軽くなっているということ。
仕事は、相手の期待に応えていくこと。
いつしか自然に、評価を受ける自分を作り出すことで
身構える自分がいた。
組織からはなれ、たったひとりの存在となった私は
その気負いから解放された。
ボランティアという状況も手伝って
できなくてもいいんだというのんきさを久しぶりに味わった。

懇親会の席でお料理をぱくぱく食べる息子を
先生方がすごいねと褒めてくれた。
それに輪をかけるかのように、私もついつい、よく食べるんですよなどとと宣伝してしまった。
うれしそうな息子は、いつもは食べない添え物の野菜さえも
食べ始め、すべて食べ尽くした。終わってみればはち切れんばかりの
お腹を抱えて家に着いた。
すると、疲れたとぐずり、その日の夕食はほとんど食べることができなかった。

息子よ、キミもありのままでいいのだよ。
期待を勝手に膨らませるのは自分でしかない。
期待もお腹も膨らませ、苦しさに喘ぐ姿は、あまりにも切なく、そして、滑稽だった。
息子のその姿に、ついこの間までの私の姿が重なって見えた。