いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

乗り物

夫は、明日、歯医者さんに行く。
ようやく重い腰を上げた。
この数ヶ月、たびたび歯をスースー言わせながら
口の中を気にしていた夫。
何かの拍子に歯がかけてしまい
それが舌にあたって痛かったのだそうだ。

んっ、もうそれなら、早く治療すればいいものを!!
と夫に言ってしまったものの
とても人ごとではない。
わが歯も年齢とともに、隙間ができ
汚れが詰まりやすくなってきた。
おまけに、もともとの歯並びの悪さからか
日に日に歯が傾いて、隣の歯と重なり合う
部分が出てきている。
あーー、私もそろそろ、歯のメンテナンスが必要みたいである。

40才を過ぎた頃から
自分の体が少しずつ変化し始めた。
今まで気にならなかったことが
気にかかり、確実に変わってきているのを感じる。
そう、「老い」である。

昔、昔、こどもの頃のこと。
大人が顔を突き合わせれば
自分たちの体の話ばかりしていたことを思い出す。
飽きもせず体の話を繰り返す大人たちを
半分侮蔑の目で見ていたものだが
そこは、やっぱりその年代にならないとわからない。
そこまで生きてみないとわからないというやつである。

これまで献身的に、健気に働いてくれていたわが体。
たいして手もかからずに、がんばってくれたわが体。
その体が少しずつ少しずつ衰えを見せ始めた。
長年乗り回した愛車が、年を経て
そこかしこに故障が見つかるかのように。

だから、最近よく思う。
体って、乗り物なんだなあ。
この世を生きて行くために与えられた乗り物。
何十年も、よき相棒として働いてくれた
この乗り物も、だんだんトラブルを抱え始めた。
けれど、車と違い、乗り換えることはできない。
これから先、古くなったこの体と手を携えて
歩調を合わせて、生きていくのだ。

こどもの頃や若い頃、人生の前半は
社会の中で自分の心を追い求めてきた。
体と心は、意識せずとも一体だったような気がする。
そして人生の後半戦へと突入した今。
これからは、きっと自分の体の中で心を求めていくのだ。
だんだんと不自由になる自分の体と向き合い
その体の中に宿った精神を感じることで
生きていることを実感する。
やがて体と精神が分離するその日を意識せざるをえない。
じゃあ、その日まで
世界でただひとつのこの乗り物と
うまくつきあっていけたらいいなあ。

よしっ、決めた!私も歯医者さんに行こう!