いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

好きにさせて

子どもの頃
嫌いだったこと苦手だったことが
大人になってから
あれっ、そうでもないなと分かった。

手先の不器用な私は、図工も家庭科も大っ嫌いだった。
料理も裁縫も絵も工作も、何もかもがへんちくりんで
それらをやることが嫌で嫌でたまらなかったのに
今では、それらのことが苦にならなくなった。
まあ、得意でも上手でもないが
楽しむことはできるようになった。

なんで、子どもの頃はあれほど嫌だったんだろうと考えた時
「評価」という二文字が頭に浮かんだ。

学校というところは、必ず「評価」をする。
それぞれの子どもに対して
できることとできないことを評価する。
上手なことと下手なことを評価する。

誰だって、得意不得意、好き嫌い、上手下手があって当然なのに
評価をするということは
得意不得意、好き嫌い、上手下手があってはいけないと言っているのに等しい。

今の学校なんてその矛盾の最たるものなんじゃないのかな。
個性を伸ばすとかなんとか言って
結局その個性を評価によって否定するという矛盾を
堂々とやっているのだから。
嫌いなことも苦手なことも個性なのにね。

嫌いなことも苦手なことがあっても
それを楽しむことができる。
楽しめないのは、それを誰かが評価しようとするから。

多くの子どもが、作文や読書感想文が苦手というのはよく分かる。
だって、評価されるんだものね。
好きに書いた、自分の中から湧き出た思いを文章にしたら
誰かに評価されるなんて、こんなに傷つくことはない。
評価を恐れて、自分の書きたいことが書けなくなるか
評価を恐れて、何も書かないかしかない。
私も、学生のときは、作文が大っ嫌いだった。

なのに、だけど、こうやってブログを続けている。
これも評価のないところで、勝手気ままに自分の思いを書けるからである。
こうして、書いているうちに、このブログを書くことがだんだん楽しい時間に変わっていった。
あれ、実は作文が好きだったんじゃないの、私。。

だから、子どもが好きなこと、やりたいことを見つけるためには
「評価」してはいけないのだと思う。
とはいえ、私は長男を評価してばかりではないか!?

息子が私に向かって言う
「好きにさせてよ〜〜」との言葉が
今までとは違う何だか深〜い意味に思えてきたよ。