三島由紀夫の日本語は、なぜこれほど美しいのか。
情景描写、心理描写を巧みな日本語で表現する
三島以外の日本人がいるのだとしたら、教えてほしいものである。
とはいえ、私が読んだ三島作品は、実はこれで2作目。
そして、2作目にして、私は三島に確実にノックアウトされてしまった。
彼の日本語は、あまりに美しすぎる。
私たちが今使っている日本語とは、似て非なるものである。
日本語がこれほど素晴らしい言葉なのだということに
三島から繰り出された言葉の数々から、大げさだが震えがとまらなかった。
もっと、早く、三島作品を手に取ればよかった。。
後悔の念が渦巻いた。
戦後文学の代表的名作であるこの作品を手に取るには
私はあまりに年を取りすぎているのではないか。
もし、もっともっと若いころにこの作品に出会っていたのなら
私のこの国の、この国の言葉に対する意識は、ずいぶんと違ったものになっていたのではないかと、ふと思った。
しかし、、と思う。
本との出会いは必然である。
出会う時、出会うべくして出会う。
もし、若いころに読んだとしても
若さゆえの知識や経験の浅さが、多様性社会とは程遠い、当時の社会の価値観に阻まれ
色眼鏡でこの本を読んでいた可能性が高い。
やはり、今、この年になって出会うべき本であったのだろう。