いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

「学歴分断社会」 吉川徹

 

学歴分断社会 (ちくま新書)

学歴分断社会 (ちくま新書)

  • 作者:吉川 徹
  • 発売日: 2009/03/01
  • メディア: 新書
 

ワタシの人生の岐路は、高校時代だと思う。

それは、よい意味でも悪い意味でもある。

進学した高校のおかげで学歴を得て、進路は開けたのだが

同時に、自分の生きる世界にずっと居心地の悪さを感じてきた。

周りの人たちと自分との違和感、ここは自分の居場所ではないような孤独感。

そして、それが、何故なのか考え続けてきたが、明確な答えを探し当てられず

ここまできてしまった。

 

その長年抱えてきた生きづらさの理由が

この本には、書かれていた。

ワタシは、自分の人生の謎が解けたようでホッとした。

生きづらさの正体が分かったことで、これからの私の生きる指針が見えてきた。

そして、この分断線を越えさせてくれた両親の苦労を思うと、胸が詰まった。

 

本著で論じられているのは、この国は、学歴によって社会が分断されているという事実だ。

大卒と高卒との間には、黒々と線が引かれ、生活や文化的資本に差が生まれている。

そして、この学歴が親から子へと引き継がれ

学歴による社会の分断の悪影響が顕著になっている。

分断線を越えるハードルを下げなければ

学歴分断社会は、さらに、強固に、固定化してしまうのではないか。

分断線のハードルとは、学力だけではない。

文化資本の差である。

 

たとえどんな環境であろうと、人間は生まれ育った環境が身に染み付いている。

そこから飛び出すことに、抵抗しようとするのは

身を守るという本能のなせる技ではないのだろうか。

つまり、文化の違い、文化資本の差によるストレスを潜在的に知っている。

学歴のいらない社会に入っていく場合においても、同じことが言える。

だから、分断線を越えるには勇気と後押しが必要になる。

 

ここで、ワタシの生きづらさのわけと繋がっていく。

それは、ワタシが、この分断線を経験したからである。

ワタシは、第二次ベビーブーム世代。

地方出身で、両親に学歴はなく、家庭は貧しかった。

母は、自分たちに学歴がないことで、随分と嫌な思いをしたようで

子どもを大学に行かせるのが目標だったらしい。

ワタシは、生まれた町から少し離れたいわゆる進学校と言われる高校に進学し

のちに、そこから大学へと進学することとなる。

 

この進学した高校で、ワタシは、自分の足場を見失うことになった。

中学時代同様、友達もすぐにできるだろうとたかを括っていたのだが

そこに通う同級生たちに、ワタシは、最後まで馴染むことができなかった。

その理由を、単に家庭の貧しさに自分が卑屈になっていたからだと長らく

思い込んでいたのだが

生まれ育った環境による土壌の違い

つまり、文化的資本がワタシにはなく、彼らにはあったことが

大きな理由ではないかと本著を読んで理解したというわけだ。

 

分断線を越えるというのは、単に学歴を得るということではなく

これまでとは違う生活環境や思想の中に入っていかねばならないということだ。

ワタシの生きづらさのわけがここにあったのだとようやく分かった。

通ったあの高校は、その分断線だったのだ。

そして、ワタシは、この分断線の苦悩を引きずったまま、あれからずっと生きてきた。

 

分断線を渡っても、ワタシは、大学の友人より、高校の友人より

中学の友人と一緒にいる時が、もっとも心地良い。

分断線の上で繰り広げられるウソや欺瞞に、いまだに耐性がない。