いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

尻ぬぐい

 

「尻ぬぐい」という日本語の表現は、本当に素晴らしいな

などと、昨日ふと思った。

 

生まれたばかりの赤ちゃんは、ひとりでは何もできない。

ご飯を食べることも、トイレに行くことも

顔を洗うことも、お風呂に入ることも。

すべては、親などの誰かの手に支えられて育っていく。

特に「排泄」行為の後始末は、人間の赤ちゃんにとって

絶対欠かすことのできないケアである。

「尻ぬぐい」はとっても大事なのだ。

 

尻をぬぐわれていた赤ちゃんも、やがては成長し

自分で尻をぬぐうようになる。

こうして親の子どもに対する直接的「尻ぬぐい」は終了するのだが

そこからは、次の「尻ぬぐい」のステージに入るわけである。

そう、比喩表現としての「尻ぬぐい」。

 

成長の過程における子ども自身の失敗やトラブルは

子どもだけで尻ぬぐいできるわけではない。

親が、子どもの「尻ぬぐい」に直接的間接的に関わっていく。

 

親の度量は、この「尻ぬぐい」に表れるのではないだろうか。

親は子どもの尻ぬぐいをしながら、その姿を見せることで

子ども自身が自分で自分の尻をぬぐうことを学び

そうして、子ども自身が誰かの尻をぬぐう存在になっていく。

 

思えば、ワタシもどれだけ親に尻ぬぐいをさせたことだろう。

もう、感謝しかない。

尻ぬぐいの恩は、尻ぬぐいで返す。