手紙をたくさん書いた。イヤな手紙を。
先月、私の自転車が盗まれ、壊された。
今年4月に買った自転車。
買物用の自転車が欲しいなあと。
近所の量販店の広告のチラシを見て、早朝から
いそいそと出かけ、手に入れた自転車。
それを盗まれた。
見つかったときには、無惨な姿。
言葉も出ない。
警察に被害届を出したものの、軽微な事件としてしか取り扱ってくれない。
こんなこと、よくあることでしょ、、みたいな感じである。
うーー、、悔しい、、
これって仕方のないこと??
これって、とっても小さいこと?
いや、大きいこと??
よくわからなくなってきた????
憤懣やるかたないけれど、あきらめざるをえないのかなあ。。。
気持ちの変遷をたどりながら。。。。
けれど!!!!
窃盗、損壊なんて、立派な犯罪ではないか!!
いや、このまま黙って引き下がる訳にはいかぬ!!
小さいことでも、大きいことでも、間違っていることは間違っているのだ!!
何が、何でも、はっきりさせねば!!
さて、動いてくれそうもない警察に、どう訴えればいいのか。
話すのが苦手な私は、手紙を書くことにした。
警察だけでは、ダメだ。役所にも、その他の関係機関にも。
どう書けばよいのか、どの言葉を使えばいいのか、
相手に最も伝わる文章をと。
そうやって書いた手紙を介して、関係者と話をしたり、手紙をやり取りしたり。
そして、そこで発せられる言葉に、私はうーーんと考え込んでしまった。
気持ちがなければ、どんな言葉も相手には響かない。
けれど、発した言葉はその人そのものだ。
口下手だとか、気持ちはあるんだけど口が悪いとか、たとえ本当にそうであっても
心に浮かんだその言葉はその人そのものだ。
結果は同じであっても、経過を辿るその言葉はその人そのものだ。
おかげさまで、犯人は見つかりました。
犯人とその両親の発する言葉は、その人そのものでした。
発する、発せられる言葉の重みをずしんずしんと、感じました。
そうして、私は、私の書いた手紙を読み返しました。