いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

運動と記憶

今朝、夫が、とある話題をワタシに振ってきた。

その話題は、以前、ワタシが夫に話したもので

「やっぱり、言ってたとおりだったね」と

夫は、ワタシがどこからか(多分何かの本)得た情報に

至極感心していたんだけれど

当のワタシは、その話題がどういうものだったか

その記憶はすっかりあやふやになっていた。

 

ワタシは、まことに記憶力が劣っている。

 

これは、今に始まったことではない。

子どもの頃からで、母親にはずいぶんあきれられていた。

 

時には、自分の身に起こったことも忘れるくらいだったので

自分とは関係のない

ドラマや映画のストーリー、登場人物の名前などは

いとも簡単にすっからかんに忘れてしまう。

そして、「見たことある」という記憶だけが残る。

 

感情が伴うと、記憶が定着しやすいと聞いたことがあるが

感動したはずのドラマや映画が記憶に残らないとは

いったいどういうわけかといつも思う。

 

子どもの頃からこうなのに

この数年は、ここに、老化による忘れっぽさまで加わってしまった。

 

これはまずいと思って

時々、中学生の息子の勉強を見て

自分のアタマのチェックをする。

社会や理科などの暗記科目はすっからかんに忘れているが

数学や英語は、まだ何とかなる不思議。

 

この差は、何だと考えてみた。

数学や英語は、ノートに書きながら

手を動かして勉強したが

社会や理科は、教科書にマーカーを引いたり

プリントの穴埋めをしたりして

頭の中だけで勉強した。

 

記憶の定着は、感動より運動なのかもしれない。

「身に付く」 という言葉を思い出し

うまいこと言ったものだと感心したけど

今のこの感心も頭の中で発生したものだからと

きっと、ワタシの記憶に残るまい。

 

ということで、忘れないうちに

今、ここに書いているわけである。