いのししのひとりごと

ワタシノトリトメナイハナシ

「人新世の「資本論」」斎藤幸平

 

10年前仕事をやめたのは、何のために仕事をしているのか分からなくなったからだ。

「くらし」のためにはお金が必要なため働いていたはずが

いつの頃からか、長時間の仕事をしていると「くらし」ができないことに気が付いた。

例えば、子どもを預ける、例えば、食事を作る時間がないから外食するなど

「くらし」に手をかけられないことで、ますます働かなければならないのだということが、うすぼんやりとわかった時、働く意味を見失った。

 

「くらし」を持続するために、仕事をやめたのだが

ワタシが仕事をやめることができたのは、家族の中に別の働き手がいるからなわけで

もし、ワタシのみが働き手だったら、ワタシは今もきっと、システムに取り込まれて

「くらし」を半分捨てて生きていたのだろうと思う。

 

仕事をやめたことで、世帯収入は半分になったが

働いていたころの「くらし」にかかる出費は、格段に減った。

「くらし」のために仕事をするうちに

お金で「くらし」を買う「くらし」のために仕事をするようになっていたことが

はっきり分かった。

 

以上のことを、はっきりと言葉にできたのは、この本を読んだからである。

仕事をやめたいと思ったのは、心の中がもやもやが、退職する方向に向かわせたからで

そのもやもやをきちんと言語化できていたわけではない。

ただ、何かが違う、このままでは魂をすり減らすというアラーム音が

自分のなかに響き渡っていただけだった。

 

働いて得たお金で際限なく消費し、地球環境を脅かす。

お金がお金を生み、富が偏在し、格差が広がる。

それでも、人は生きていかなければならないし

人が人の手を借りたり、貸したりしながら生きることの大切さに

多くの人が気づき始めた。

そのことを、雰囲気や気分ではなく、きっちりとした言葉で

現状と具体策を示したこの本の存在は、本当に貴重だと思う。

 

世の中が変わるためには、3.5%の人間に変化が起こればよいという。

 

どうしたら3.5%の人間になれるか。

どういう手段で3.5%の人間になるか。

今は、そんな前向きな気持ちになっている。